コラム
2025年12月16日
苦手なことに取り組む理由
気がつけばすっかり年の瀬になりました。皆さんにとって今年はどんな一年だったのでしょうか。私は今年は編み物を再開したり、オンラインでしか話したことのなかった人と直接会って話したり、それなりに実のある年だったように思います。
また、私には今年から来年にかけて、一つの挑戦があります。それは論文を書くことです。論文を書くのは苦手なのですが、だからこそ自分にとって超えなければならない壁だと思って現在取り組んでいます。なぜ苦手なのかというと、私の中にある「急げ」とか「完全であれ」という自分自身へのメッセージがむちゃくちゃ発動するからです。先行研究を調べれば調べるほど、「これについても言及しなければいけないんじゃないか」「『こんなことも調べていないのか』と誰かから思われるんじゃないか」という考えが頭をもたげます。さらに「急げ」が発動すると意味もなく焦ります。焦って完全を求めて、いつまで経っても完成しません。そんな自分の中の、誰が言っている訳でもない言葉に翻弄されてしまうのです。
そういう時は、一人で考えていたらずっとその中から抜け出せません。恥をしのんで、指導してくださっている先生に教えを請います。途中でも、とっちらかってても、分からないところが多くても、自分は今そんな状態であると言ってしまいます。すると、先生と話している間に自分の中でまとまってきて、次に何をすればいいかが明確になってきます。そして少しずつでも書き初めて、行き詰まったらまた聞くのです。こんなことを繰り返して、来年の半ばには完成させたいと思っていますが、どうなることやら。
人に助けを求めるということは、弱くて不格好な自分をさらけ出すことなので、正直嫌です。自分はもっと出来ている人間だと思いたい。でも結局、弱さをさらけ出すのが怖いと思っているということは、「自分は出来ている」というプライドの裏で、「自分は本当はダメなやつなんだ」「それがバレたら終わりだ」という恐れを常に抱いているということなのだろうと思います。私もこんなところで偉そうなことを言っているけれど、本当は自分なんて全然人に何か言えるような人間じゃないんだ、という気持ちがあるのです。それがバレるくらいであれば最初から挑戦なんてしないほうが良いまであるのです。
でもそうして挑戦しないままでいると、結局その「私はダメなやつだ」「それがバレたら人が離れて行ってしまう」という、自分も周囲も信用していない考えを証明しつづけることになってしまいます。それはさすがに、自分自身にも周囲に対しても失礼すぎる。私が尊敬している人たちや一緒にいると居心地がいいと感じる人たちは、私が弱さをさらけ出しても受け入れてくれるし、そんな私の力を認めて、背中を押してくれるのです。
私は決して「ダメなやつ」ではないけれど、足りないところはたくさんあって、知らないことも山ほどある、不完全な人間です。でもだからこそこれから色んなことを知ることができるし、出来ることも増えていくのだろうと思います。
私もそうやって不格好にがんばっていくので、これを読んでいるあなたも一緒にがんばってもらえたらと思います。
来年もあなたにとって良い年でありますように。
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