コラム
2024年9月30日
「健全な精神は健全な肉体に宿る」?
お彼岸が過ぎてから、急に季節が動き出した感があります。日中はまだ少し暑さを感じる時もありますが、朝夕はだいぶ涼しく、私も長袖の上着を出し始めました。秋の日はつるべ落としと昔から言いますが、夏の暑い時期には意識していなかった夕暮れの早さに驚かされるこの頃です。
季節の変わり目には体調を崩したりすることも多く、既往症をお持ちの方には体調管理に悩まされる時期かとも思います。暑けりゃ暑いでしんどい、寒けりゃ寒いでしんどい、いわんや季節の変わり目をや。とかくに人の世は住みにくい…
心と体はつながっているとよく言いますが、これはあくまで心と体が連動しているということで、決して「健全な精神は健全な肉体に宿る」ということではありません。健全な精神というものが仮に良いものだとして、もしそれが健全な肉体に「のみ」宿ると言うのなら、正直私の精神など相当不健全なものでしょう。私も含め多くの人は何かしら身体的な不調や抱えているものがあって、それを持ったまま何とか日々を乗り越えているのだろうと思います。いつも元気いっぱいでなくても、低空飛行でも、それを維持して日々生きることは、とても大変で、賞賛されるべきことです。
でも、果たしてそれはそのままでいいのだろうか、とも思うのです。生きてるだけでまるもうけ、生きてるだけですごい、偉い、素晴らしい。その人がその人なりの方法で日々をサバイブしていることは、誰かから否定されるようなことでもありません。でも、もしそれがとても重い重りを携えて行われているものならば、少しでもその重りを軽くできればと思うのです。肉体的にも精神的にも。
例えば緊張をほぐすなどの身体からのアプローチで、心が楽になるということもありますし、お薬を飲むことも身体的なアプローチと言えるでしょう。私見ですが、それらは健全な肉体を目指しているというよりは、その時の苦痛を取り除くとか、その人が少しでも楽でいられるための方法として存在しているように思います。
健全な身体や健全な精神なんて目指さなくていい。でも同時に痛みを無視して走ってほしくもない。体に対しても心に対しても、痛みがあればそれを感じて手当てしてほしいし、させてほしいのです。そうすることで、少しでも楽に、少しでも長く、低空からは少しでも上向きに、自分という体と付き合いながら進んでいけるように。そのお手伝いができればと思っています。
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