コラム
2024年9月24日
朝ドラ「虎に翼」最終週に寄せて
お彼岸が過ぎて、やっと涼しくなってきました。日中にエアコンをつけなかったのは久しぶりです。その一方で、能登で大雨による災害が起きています。前回「気候変動は人が死ぬ」と言っていましたが、またその例ができてしまい悲しい思いです。1月に起こった地震への国による復興がもっと早く進められていれば、ここまでの被害にはならなかったのではないだろうか、とも思います。
さて、朝の連続ドラマ小説「虎に翼」が最終週に入りました。どうしようかと悩みましたが、初期にインスタグラムの方で期待を述べたこともあり、今の気持ちを書いておこうと思いました。
正直な気持ちを言うと、主人公の寅子が弁護士になったあたりから違和感がありました。寅子が司法試験に受かった時のスピーチで、女性であることで学ぶことを諦めざるを得なかった友人たちを多く見ていながら、「男女関係なく」という言葉を使ったこと。寅子が仕事で出会う人たちに「悪女」が多いこと。極めつけは女装男性による「女になるために努力したことある?」という少女への問いかけ。
実際のところ、私の稚拙な知識ではありますが、朝ドラでこれまでこんなに憲法を取り上げた作品はなかったのではないかと思うし、正面から女性差別や法の下の不平等を取り上げてくれたことは素晴らしかったと思います。米津玄師の主題歌にも何度も泣きました。やっとこんな風に女性差別を取り上げてくれる作品が出てきてくれたのかと、本当にうれしく思ったのです。
ですが、上記のような違和感を覚えるごとに、私の気持ちは離れていきました。これはこれまでによく見てきたやつ、女性差別“だけ”を取り上げることは許されず、それ以外の差別にも言及しろと言われるやつだ、と。男性だって辛いんだとか、悪いことをしているのは男性だけじゃない、とか、トランスジェンダーに比べたら女性はマジョリティだとか。
何より私は、女性であるからこその苦しみに耐えて踏ん張っている女性の前で、「女になるための努力をしたことがあるか」という言葉が発せられるのはどうしても我慢がならなかった。そうなる努力なんかしなくても、勝手に性の対象として消費され、売られ、買われ、襲われ、弱くて愚かで劣っていて役に立たない存在としてみなされ、子どもを産み育て多くの無償再生産労働に従事することを求められる、それが「女」だ。私はそんなものになりたくなんかなかった!勝手な幻想を押し付けてこちらを断罪するな!
この言葉が、今私たちが置かれている状況―女性専用スペースや女子スポーツがどんどん男性に侵食され、それが裁判においても認められるような判決が出ている、女性にとってとても危機的な状況―において、公共放送によって発せられるということが、まさにその状況を表している。間違いなく、女性はいつまでたってもマイノリティだ。女性“だけ”の権利を主張することは許されない。奇しくも「虎に翼」は、この不均衡をその作品内で体現してしまった、と私は思っています。
作中でもあったように、憲法が変わっても、法律も現実も、それに則していないことが未だに多くあります。だから私たちは怒っていい。それはこの作品が示してくれていたことだとも感じています。知識を得て、怒って、繋がれていた縄を噛みちぎり、どこまでも気儘に飛んでいい。それを毎朝示してくれていたことには、感謝しています。だからこそ、私はこの文章を書くことに決めたのです。私の中の「はて?」を大切にしたいから。そしてそれを言葉にしていいと、他ならぬ寅子が示してくれていたから。
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