コラム
2025年11月20日
思春期という時期
少し前の話ですが、知人から、「最近の子どもには反抗期がなくなっていると聞ききますが、そういうのは問題ないんですか」と聞かれました。その時私は「今の40代50代の親世代は、自分が親にされた嫌なことを子どもにしたくないと思っている人が多いと感じる。子どもに自分が感じた嫌な気持ちを感じさせたくない、子どもにはのびのび育って欲しい、と思っている親が増えたということではないか」と返答しましたが、それも一つの側面として、また別の点から改めていわゆる「反抗期」なるものについてちょっと考えてみようと思います。
今回は「第二次反抗期」と一般に言われる、10代の思春期について考えようと思います。私は思春期の子どもを持つ親御さん向けの講座を開催したりしていますが、そのファシリテーターとなるための勉強の中で、思春期の子どもに身体的に何が起こっているかということも学びました。思春期の子どもの体は、めまぐるしい変化のただ中にあります。ぐんぐん伸びていく手足、生殖機能の発達によるホルモンバランスの変化など、身体的な発達が達成されていく中で、感情抑制や衝動抑制、計画性や総合的判断を司る脳の前頭葉は未発達、というアンバランスさを持っています。そのため、怒りっぽくなったり些細なことで悩んだりということが起こったり、人間関係の悩みを抱えたり、ということが起こってきます。それはおそらく子ども本人にもどうにもできないものでしょうし、大人になったら「どうしてあんなことであんなに悩んでいたんだろう」と思うようなことにこれ以上ないほど悩んでいた、という経験はみなさんにもあるのではないでしょうか。
そう考えると、そのような状況の中でもがいている、またそのため親に対してもついきつい言い方をしてしまう、という思春期を「反抗期」と名付けるのは、抑圧側の視点のように感じます。そもそも反抗って、抑圧が先にあるからこそ起こるものなわけで、抑圧がなければ反抗する必要もないわけです。抑圧する側が自分が抑圧していることを無視して、「子どもが反抗的な時期」という、あくまで子ども側の問題としてその時期を名付けてしまうのは、いささか乱暴な気がします。反抗的な態度というのはあくまで子どもの混乱の一つの発露なのではないでしょうか。
ではその混乱の時期を、大人はどのように子どもと関わればいいのかということについてですが、まず大人は子どもの安全基地であることが大切だということです。10代の子どもは、自立に向けて少しずつ外の世界に自身の居場所を確立していっているところです。その中で傷つくこと、不安になることがたくさん起こります。その都度、ここは安全だと感じられる場所に戻っていき、英気を養いまた外の世界に向かっていく。その繰り返しです。安全であるということは、過干渉でもなく放置でもありません。子どもを「守られるべき個人」として、あくまで自分とは別の人間として扱うということです。そのようにして、子どもは安全に守られながら、周囲とどのような距離感で関わればいいのかということを、身近な大人と自分との関係から学んでいくのです。
しかし一方で、最初に述べたように、現在の親世代が、自身が育てられた環境と「こうありたい」と思っている「親」象との間での葛藤が起こっていることも忘れてはならないと思います。子どもも悩みの中にいますが、同時に大人も常に悩みの中にいます。そんな大人と子どもに必要なのはやはり、安心できる環境と、対話なのだと思います。大人だって子どもだって、間違えることもあるし、常に良い子/良い大人ではいられないこともあります。その上でお互いはあくまで別の人間だと意識しつつ、対話しながらなんとかやっていく、ということしか、私たちにはできないのではないでしょうか。
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