コラム
2025年10月27日
余白が支えるもの
先週末、私が所属する日本TA協会の年次大会に参加してきました。久しぶりの東京は秋雨がしとしとと降り、肌寒く感じられました。コロナ禍で学会や研修会などはオンラインでの開催が主流になり、対面開催が多くなった最近でも、ハイブリッド開催やオンデマンド配信など、開催方法の多様化は廃れることはありません。それは開催地の地域格差も大きいと感じます。私は阪神間なのでまだいい方で、大阪京都などは日帰りが可能な圏内なので、選択の余地があります。ですがそれ以外の地方となると、対面で参加しようと思うと旅費に宿泊費にと、出費がばかになりません。他の職種の方はどうか分かりませんが、心理系の皆さんはだいたいそれらの出費は自腹で出しています。仕事のクオリティに反映される研修でも、それらが経費で落ちるということはあまりありません。現在、心理士は正直稼げるとは言い難い職種なので、自身の臨床スキル向上のため、または資格維持のために、学ぼうと思えば思うほど財布がさみしくなるというのが現状です。そのような状況下では、学会や研修をオンラインやオンデマンドで実施してくれると非常に助かるのです。また、オンラインだと海外の講師を日本までわざわざ呼ばなくてもよいという利点もあるでしょう。
私としても、参加したいと思った研修すべてにその時間や場所で受けられるわけでもないので、オンラインやオンデマンドを利用して参加しており、それは非常にありがたいことです。ですが年に1~2回、ここには対面で参加したい、と思えるものもあります。今回の大会もそれだったわけですが、そこではやはり自分の足でそこに向かう、ということの良さを再認識しました。それはその研修以外の時間、余白の部分にあるのです。研修の合間の休憩時間にちょっとした話をする、研修後の懇親会でともにおいしい食事を囲むなど、生産的でも何でもない時間、ただ楽しいだけの時間を共有するということが、何にも代え難いものだということに改めて気づいたのです。
もしかすると、コロナ禍ではこれは「不要不急」と言われていた時間かもしれません。しかし多くの人も言っていましたが、このような、ただその時の気持ちや考えを話し合ったり、時間を共有するという、余白の部分が私たちにはとてもとても大切なのです。生産性という言葉を使うなら、このような時間は、その瞬間にはそれ自体が何かを生産することはなくても、その前後の生産する時間を支える礎になっているのです。1日の中で、人が労働している時間よりも休息をとったり食事をしたりしている時間が長い方が身体的にも精神的にも安定するように、もっと長いスパンで見ても、人が何かを為すためには、それ以外の時間をそれ以上に取っている必要があるのです。
今回の大会では、これまで話したことのない人や、オンラインでは何度も会っているけれど直接会うのは初めての人などにたくさん会いました。直接会うと、彼ら彼女らも当たり前ですが血の通った人間で、声のトーンやしゃべり方、間の取り方、体の厚みなど、そこに「いる」という感じがとてもします。おそらくは向こうにとっての私もそうで、そこに「いる」ことで私もそこにいる人たちに認識され、彼ら彼女らの中で「一人の人間として存在する私」が形作られていったのだろうと想像します。直接会って他愛ない話をすることで、私の中では非常に励まされたことがたくさんありました。他の参加者のみなさんにとってもそうであっただろうと思います。
オンラインも対面も、それぞれにそれぞれの良さがあります。無理するのではなく、自身の体や気持ちが望む形で、それらを都度選んでいければいいと思います。
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