コラム
2025年10月7日
女性が偉くなることについて
この数日で、大きな出来事がありました。日本の与党において初めて女性の総裁が誕生しました。これは歴史的には非常に大きなことだと思いますし、女性が総裁になることが出来る、という前例を作ったことも、とても意味のあることだろうと思います。しかし同時に、現在の日本で女性がトップに立つためには、「男性の亜種」にならねばならないのだなということも感じました。
日本は世界に置いてけぼりにされている状態で、数年でジェンダーギャップ指数が多くの国に追い越されてしまって先進国では最下位となっています。識字率や医療へのアクセスなどの教育・健康の分野においては上位にあるにも関わらず、経済と政治の分野において男女差が大きすぎるために、総合順位としては低くなってしまう、という状態になっています。政治家の男女比は8:2ぐらい、閣僚の男女比は、内閣の発足時に階段に並んでいるところを想像してもらえば分かると思いますが、女性が1~2人、3人でもいれば良い方でしょうか。かつて、アメリカの最高裁判事であったルース・ベイダー・ギンズバーグは言いました。「最高裁判所に何人の女性判事がいれば十分か、9人全員です」と。閣僚も最高裁判事も、全員が男性であっても多くの人は違和感を抱きません。それはこれまでその役をほとんど男性が担っていたからです。もし閣僚が全員女性になった時に「おかしい!女性優遇だ!」と感じるのであれば、よく気づきました。今現在が男性優遇であるということです。
そんな日本の政治の中で、女性がトップに立つためには、おそらくはよほど周囲に根回しが必要でしょうし、「女性でもこんなにできる」ということを証明し続けなければならないでしょう。多くの男性政治家の中の何人かが不祥事を起こしても「男性はダメだ」とは言われませんが、女性政治家の一人がめざましい結果を出さなければ、「やっぱり女性はダメだ」と言われます。また、何か問題を起こした組織が女性を代表に据えて「私たちは変わりましたアピール」をしたり、批判が集まりそうな時に女性を代表にして、良い結果を出さなければ「やっぱり女性はダメだね」と言って辞めさせたり、それは「ガラスの崖」と言われている女性が晒される困難の内の一つです。
私は個人的に新総裁とは政治信条は合いませんが、彼女もまた女性差別の中にいるのだ、とは思います。
女性だからといって、仕事と家庭の両立をしなければならない、いつも笑顔でならなくてはいけない、美しくあることも忘れてはならない、他者に寛容でなければならない、めざましい結果を出さなければいけない、次世代の礎にならなければならない、ということはないはずです。女性は偉くなることに対して課せられている条件が多すぎると感じます。普通のどこにでもいる私でも、自分のために働いて、自分のために生きて、経験を重ねればそれなりに偉くなれる。それが女性にも当たり前にあるようになれば、ガラスの天井も崖もなくなるでしょう。新総裁が女性となったことが、それにほんの少しでも近づくことに寄与すれば、というのが私の願いです。
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