コラム
2025年9月9日
性犯罪はもっと重罪でいい
最近、ニュースを見ていると、以前より性犯罪のニュースが増えているように感じます。それにはおそらくいくつかの理由があるのではないかと思います。まず、撮影罪や不同意性交等罪など、これまでは有罪とならなかったものや不起訴になっていた犯罪が、犯罪であると認められるようになったこと。そして、それを被害であるとして警察に訴える人が増えたのだろうということです。
以前は、不同意性交(かつての強制性交)についても、被害者がはっきりと抵抗し、そしてそれが加害者に「抵抗していると分かる」ということが認められなければ、罪として認められませんでした。今こう書いていても吐き気をもよおすような内容ですが、つい先日まで、性被害にあったと「認定」してもらうためには、これらのことを証明しなければならなかったのです。現在そこについては緩和されたわけですが、それでも多くの性犯罪のニュースを追っていると、不起訴になったり、執行猶予がつけられていたり、実刑になっても刑期が短いなど、現状でもまだ性犯罪が軽く扱われていると感じます。
この理由は、私たちの生活の中にも潜んでいるのではないかと思います。コンビニには若い女の子が水着や胸をあらわにした服装で笑顔で表紙を飾っている本が並び、繁華街には風俗店、顔は幼いが胸だけは豊満な少女が微笑んでいる広告。そしてネットを開けば、エロゲやエロ漫画の広告がゾーニングもされずに垂れ流される。国全体が、少女を性の対象として見ることや、女性は男性の性欲という名の支配欲/加害欲を無条件で受け入れるべきだということを肯定しているのだろうと思います。根本的にそのような認識だから、法律も性犯罪者に甘いと言わざると得ない状態になっているのだろうと思います。
そのような社会で、現在は、それがいかに女性に対して差別的であるか、ということがSNSなどでも共有されるようになりました。それは訴えていいことなのだ、これはおかしいことなのだ、という認識が共有されたことにより、被害として訴える人も増えたのではないかと思います。しかし、そのように被害を訴えても、被害者の方が辛い思いをしたり、過大な労力を割かなければならなかったり、ということも少なくありません。胸が締め付けられる思いです。
カウンセリングの悲しさは、基本的に「事後」である、ということです。もうすでに辛い思いをしている方が、本来はそんな思いをしなくて良かったはずの方が、カウンセリングの門を叩きます。私はずっと怒っているのです。彼女たちにこんな唾棄すべき行いをした加害者に。そしてそれを軽視している司法や、国や、善良なつもりで部外者を決め込む人たちに。
性犯罪は、加害者のみを罰すればいいのではありません。女性の「NO」を重視する、女性の意志を尊重する、「女性の体は男性が好きにしていいものだ」「男性は思ったようにセックスにありつく権利がある」という誤った認知を捨てる。そういったことを、司法でも教育でも全ての人に示していかなければなりません。それが結果的に、性犯罪や女性を性的に搾取することを抑制するのです。今はまだ難しいですが、いつかそういったことにも関われたら、というのが私の望みです。カウンセリングが必要になるような、辛い体験をする女性がこの世からいなくなるように。
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