コラム
2025年6月16日
「美しくあれ」という呪縛に中指を
梅雨に入りすっかり蒸し暑くなりました。湿気が多かったり低気圧が居着くとそれだけで心身がどんよりするので、適度に休息を取りながら過ごしていただければと思います。
このような時期でなくても、少しでも日々の生活の中でストレスは減らしていきたいと思いながら過ごしていますが、私もそうやって一つずつ辞めていくもしくはやるようにしていることがいくつかあります。その中の一つが、お化粧をしないことです。これはもう何年もしていません。一度だけ、HP用の写真を撮るためにしましたが、それ以外では何年も全くしていないのです。理由は色々あって、子どもが小さい内は「お化粧が子どもの手や顔についたらいやだな」と思ったり、肌も強くないので化粧品が合わないと肌が荒れるとか、単純に面倒くさいとか。巷にはその時々の流行りのメイクであるとか、日焼け止めを塗らないとシミができるとか、半ば脅しのような文句が躍り、女性がお化粧をすることが義務でありマナーであるかのようです。それらを見るにつけ、女性には「美しくあれ」という強力なメッセージが社会から与えられているなと感じます。
アニメを見ていても、女性キャラが変身するときには必ずと言っていいほどメイクする表現が出てきます。女性キャラが強くあることや戦うことはOKであるが、それには「美しくあること」という条件付きなのだなと思うのです。こうして女性は幼いうちから「美しくあること」をすり込まれるのかとも。女性が何らかに熱中して「美しくあろうと努力すること」をしなければ「女を捨てている」などと揶揄されることがありますが、それは「女性であること」の条件が「美しくあること/美しくあろうとすること」であるということなのだと思います。その条件はお化粧だけにとどまらず、痩せていること、それでも胸やお尻には適度に(誰にとっての適度かは知らんが)お肉がついていて、肌も髪もつやつやで、若々しく、服装がその人に似合って流行りもおさえていて、などと多岐に渡ります。どんなに他のことで成果を出していても、それをしていなければ責められる。そしてこれらの条件は誰が出しているのか、というと男性社会です。上記の条件は、男性にとってトロフィーとして意味があり、かつ性欲の対象となる女性であるための条件なのです。女性の中にある「美しくなくてはならない」という強迫観念は、それを自身に内包してしまっているだけなのだろうと思います。
自分がなりたい姿になるために努力することは素晴らしいことであるし、そうすることで得られるものはきっとたくさんあるでしょう。それでも、それは自身がしたくてやっていることなのか、社会通念としてしなければならないと思ってしていることなのかを考えることは、きっとあなたがより生きやすい方を目指すために必要な作業です。美しくあることを強制しコンプレックスをいたずらに刺激する広告があちこちにあるような現在の状況で、その強迫観念を切り離すことは非常に大変なことですが、一度心の中で、「美しくあれ」という言葉に中指を立ててみませんか。うるせーふざけんな、私はこのままで最強なんだよ、と。
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