コラム
2025年6月9日
誰かも分からないあなたへ
気がつけば6月になりました。もうすっかり近畿圏は梅雨空です。
さて、私はHPでの自己紹介に「フェミニスト」だと記していますが、それは自分がそうである、というよりは、その名に恥じない行いがしたい、という、言わば目標として掲げています。日本という国の中で自身を「フェミニストである」と表現することは、それを揶揄され嘲笑に晒されることも覚悟しなければなりません。時折「私はフェミニストってわけじゃないけれど~」という枕詞をつけて話す人を見かけます。それは、私は男性にとって危険な存在ではないですよ、男性の立場を脅かそうなんて危険思想は持っていないから、意見を言わせてくださいね、という、非常に男性というマジョリティにおもねった枕詞なわけですが、しかしそれはそれだけ女性が発言することを禁止されてきたということに他なりません。だから自らフェミニストなんて名乗るやつは、男性にとって危険分子であり、なんならモテないブスババアのひがみだ、という、エイジズムとルッキズムと家父長制のごった煮のような誹謗中傷の対象になるのです。
ネットの世界をのぞくとそのような言葉を吐く魑魅魍魎がうようよしていて、しかし同時にその中で戦っている女性達の姿も見ることができます。女性専用のカウンセリングをやっていると男尊女卑、夫婦関係、DVなどは真正面のイシューで、それらの諸問題について色々な研修を受け、心理的/専門的なアセスメントや対応方法などを学ぶのですが、私にとって最も力になった教材は、そのネットの中で男性社会に抗って血だらけになっている女性達の言葉なのです。顔や名前を出して女性の支援を仕事にしている方達だけでなく、名前も知らない、経歴も年齢もバラバラ、でもどこかに確実にいる市井(こんな言葉を使うのもおこがましいですが)の女性達。そんな彼女たちがそこに綴っている経験、それにまつわる感情、怒り、悲しみ、葛藤、行動。それが何よりも、私の、女性にのしかかる多くの問題に対する理解を深めたのです。
こう言うと、彼女たちの血のにじむような経験を勉強材料としているようで非常に失礼なことを言っているのではないだろうかと感じます。でもこのネット上にある言葉たちは、どんな文献よりもどんな専門書よりも、生きている。だからこそ、私が仕事で出会うクライエントさんに対しても、その生きた言葉というフィルターを通して、私という個人の経験や学びを超えた理解ができるのではないかと思います。いやむしろ、私という媒介を通じて、数多のどこの誰とも知れない女性達が、私のクライエントさんを助けてくれているのかもしれません。
こんなクソみたいな世界で血だらけで戦い、立ち向かい、生きている、どこか遠くかも、ひょっとしてすぐ隣にいるかもしれないあなたたち。あなたたちは気高い戦士で、私にいつも勇気と知恵を授けてくれる。「男性にとって脅威ではない」なんてクソ食らえ。私たちはれっきとしたフェミニストである。
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