コラム
2025年4月15日
セックスワークはワークか
去年研修で東京を訪れた時に宿泊したホテルは、その最寄りの駅から風俗街を抜けたところにありました。宿泊予約をした時にはそれに気づいておらず、研修が終わって食事をして遅い時間にホテルに戻ろうとすると、何人もの女性が店の名前やサービス内容を書いた紙を持って立っており非常に面食らいました。都の条例で「客引きはダメ」となっているようですがそんな問題でもなく、どぎついネオンの下で女性たちが自らを売る(おそらくはグレーとされるものもたくさんあるのでしょうが)様子は正直見るに堪えないものがありました。もしかしたら彼女たちはそれを「自分の選択」だと言うかも知れない。でも私はそもそもそんな選択肢があるべきではないと思います。
私は学生の頃から「結婚したい」とか「子どもを産みたい」とか思っていて、実際に自分の希望としてそれをしたけれど、じゃあそれが100%まっさら、混じりっけなしに自分個人の希望だったのかと考えると、それは分からない。だって幼い頃からメディアや周囲によって、大人になったら結婚するもの、子どもを産むもの、と散々すり込まれてきたのだから。どこまでが社会規範で、どこまでが個人の希望かなんて、はっきりと判断できる人がどれだけいるのでしょう。だから風俗店に勤める彼女たちの「自主性」というものも、私は懐疑的にならざるを得ません。
私が大学生の頃は、「女性にも性欲がある」とか、「女性もセックスを楽しみたいんだ」とか、そういうのが性の主体性だと思って過ごしていたように思います。もちろんそれ自体が間違っているとは思いませんが、結局根本的に男性優位の社会においては、それが「自己責任」として女性を追い詰める要素になるのだとも最近は思うようになりました。風俗に勤めることも彼女たちの主体性だ、セックスワークイズワーク!と言うことは、本当の意味で彼女たちを解放するものなのか、と問われると、私はそれにははっきりとNoだと言います。結局女性の体を売っているのも買っているのも男性だからです。この世界の誰にも、金を払ったからといって誰かの体を好きにしていい権利なんてない。
普通に過ごせると思っていた日常から人が滑り落ちてしまうのは一瞬で、ある時から急に、学校に行けなくなったり働けなくなったり、ということが起こります。それは天災によるものもあれば、誰かの加害によるものであることもある。社会が男性優位に作られていて、男性の性欲という名の支配欲に法律も非常に甘いという現状では、滑り落ちて精神的にも経済的にも困窮するのは女性が多く、そんな人たちにさも救済のように風俗で働くという選択肢が差し出される。こういうのをマッチポンプと言うのではないのか。
セックスワークは、性風俗はワークなんかじゃない。女性を売る者と買う者による、虐待であり、搾取であり、暴力です。そんなものに晒されなくても女性が生きて行ける世界になってほしい。そのために、ここでこう記すことが役に立つのか分からないけれど。
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