コラム
2025年3月31日
コラムを始めて1年が立ちました
3月も終わりを迎え、春が近づき桜も咲き始めました。春休みのお子さんを連れて行楽に向かう家族連れをよく見かけます。
このコラムを書き始めて早くも1年が立ちました。書くことが思いつかない時があったり、逆に溢れて止まらない時があったりしながら、その都度あったことや目にしたことを通して感じたことや考えたことを綴ってきました。心の問題と関係ない話の時もあるし、怒りの発露だったこともありました。
もともと文章を書くことは好きでしたが、このようにつれづれに思いを定期的に書いていくということはあまりしたことがなく、さらには自分の仕事の看板のように人の目に触れる場所にそれを公開するということも初めてのことでした。人の目を意識すれば聞き心地のよい言葉を選ぶのは当然のことで、その上で自分の嘘のない気持ちや考えをできる限り表現したいと思いながら書いてきました。
そうして1年立って改めて感じたことは、私にとっては「怒り」が原動力だということです。最近はアンガーマネジメントという言葉が知られるようになってきて、私も「感情のコントロール」ということについて聞かれることが増えました。その度に「感情をコントロールする」という言葉に違和感があります。私にとって感情は常にそこにあって、それらが私の中に混沌と入り交じって存在すること自体は許したいと思っていて、おそらくそれが「コントロール」という言葉のイメージと一致しないのだろうと思います。その都度感じる感情は一つでなく、怒りも悲しみも情けなさも喜びも不安も、ぐちゃぐちゃのままそこにあって、泡のように浮かんでは消え、でもいつも傍らにある。それは人間そのもので、コントロールしようとすればするほど、暴れ出すか又は諦めて動かなくなるのではないか。そう感じているのだろうと思います。
私にとって「怒り」という、時に激しく燃える心の炎は、私を行く道を照らしてくれるものなのです。だからコントロールはしたくないし、される筋合いもない。それをどう表現するかということは確かにその都度違いますが、「正しい表現方法」という唯一があるわけでもありません。表現において重要なのは「それが”本当に”伝えたいことかどうか」です。なので、感情の表現のために必要なのは「コントロール」より「探索と解放」なのではないでしょうか。
そう思って私もこの1年自分の感情を探索しては解放してコラムを書いてきました。どこの誰とも知らぬあなたに、私はこんな人間ですとさらしてきました。今後も恥ずかしげもなくさらしていくので、お付き合いいただけますと幸いです。
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