コラム
2025年2月10日
心に余裕(ヒマ)がある生物
寒波が来ています。そのせいか、先週は体調を崩してしまい、お休みさせていただきました。ご予約いただいていた方にはご迷惑をおかけしてしまいました。それが快方に向かったかと思いきや、腰を痛めてしまい、生活はそれなりに普通にできるものの、腰をかばいながらの生活を送っています。改めて体が資本であると感じました。
今回は風邪であったり一時的(と信じたい)な腰痛程度なので復帰できますが、これが半永久的に続くものであれば、仕事も日々の生活もままなりません。日々の営みがとても繊細なバランスの上に立っていて、それが一つ崩れてしまうと全てが崩れてしまうような、ギリギリの生活を送っている方も多いのではないかと思います。そうなった時に休んだりこの先どうするかを考えたりする、精神的身体的金銭的余裕があればいいですが、給与もなかなか上がらず国民負担率の高い現状では、それは難しいのではないかと思います。しんどくても休めない、仕事の替えがきかない、自分が抜けてしまっては回らない、といった状況は色々な分野で聞きますが、そういった状況が余計にその人をしんどくさせるという悪循環。それを補うために、色々なお店で業務がロボットに置き換わったり、セルフレジになっていたり、ということが、最近は当たり前になってきました。
私は大学時代のアルバイトが接客だったこともあり、そういった状況を致し方ないと思いつつも、さみしい気持ちも感じています。なぜそう感じるのかと考えると、自分はただ食べ物を食べたり物を買うためだけにそこに行っているのではないのだなと思います。「食べる」「物を買う」などという手段を通して人と関わっている、そしてそれが思う以上に自分の心持ちに影響を与えているのです。お店に入って「いらっしゃいませ」が無ければ自分はたいした存在だと思われていないのだなと感じるし、食べ終わった後に「ごちそうさまでした」とお店を去ろうとしても見向きもされていないと、なかなかにさみしいものです。人手不足で削減してきた「無駄」が、実は人の感情に作用するもので、ギリギリで生活を保っている人を影ながらに支えるものだったのかもしれない。そう思うのです。
そのような接客業務などは「感情労働」と呼ばれ、それ自体も大変なことであると認識されるようになってきましたが、それならその分給料に上乗せしてくれえ!コロナの時にあれだけ「エッセンシャルワーカーは必要な仕事」とか言っとったくせに、全然待遇改善されんやないの!
お給料は当たり前のこととして、私たちはただ働いて、食べて寝て、で生きて行けるわけではありません。特別仲のいい相手でなくとも、誰かと言葉を交わし、互いを慮り、袖振り合う。そんな些細なことの積み重ねが、おそらく人を生かし、心に余裕を作る。それは全く「無駄」ではないのです。
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