コラム
2025年1月21日
女性が被災するということー1月17日に寄せてー
先日、神戸では震災から30年目の1月17日を迎えました。その日はなんとなく、街全体が静謐な空気に包まれていたように思います。節目となる年であったこともあり、テレビでも当時をふり返り語られる機会が多くありました。でもそんな中で、これまであまり語られなかった、語ることを禁じられていたことがあります。被災地での性被害です。
阪神淡路の震災でも、東日本大震災でも、語られなかった性被害が多くあったと言われています。震災自体は男女関係なく降りかかりますが、性被害はそうではありません。被災という極限状態においては、もともとあった差別が如実に表れます。それは関東大震災における朝鮮人虐殺もその一つでしょう。そしてそれは起こるだけにとどまらず、重大なこととして扱われない、なんなら仕方のないこととして扱われます。阪神淡路の震災での性被害は、長らく「デマ」として扱われました。ですが東日本の震災でそれを聞きとりまとめた方々がおられました。そして今になってやっと、避難所での注意喚起が起こるようになりました。でもそれもあくまで「被害者になり得る人への呼びかけ」であり、「加害者になり得る人への呼びかけ」ではありません。それは「性加害」をまるで天災のように扱うことだと思います。「性加害」は天災ではなく、人による、憎むべき犯罪です。
最近はやっと性犯罪が取り上げられるようになってきたなとは感じています。受験生を狙った痴漢や、芸能界における性接待、立場の強さを利用した不同意性交など、それらが問題であるとやっと認識されるようになりました。そして同時に、それらを「たいしたことじゃない」と扱う声も未だ大きく、法律でさえ被害者を守らないという現状に辟易することもあります。性犯罪においては殊更に「被害者に落ち度があった」と責められます。そんなところへ行ったから、はっきりと断らないから、笑って話していたから・・・
震災から30年経って、当時の教訓はどれだけ今に生きているのでしょう。未だに被災地では生理用品が足りないとか、避難所が決して安心できる場所と言いがたいとか、いつまでたっても是正されないことは多くあります。公助に頼るな、まず自助、何事も自己責任であるという昨今の風潮は、強きを助け弱きをくじく原則です。そんな中で被災するということは、女性にとって、本来感じなくていい恐怖をいつも以上に感じることでもあります。注意を怠ったと非難され、「被災」という大事の前に性被害が矮小化される。なんだそりゃ。この世の地獄か。
最近は気候変動もあり、豪雨災害も多くなりました。日本は災害が頻発する場所だからこそ、何が起こっても安心して過ごせる場所が提供され、また生活をやり直す気持ちを奮い立たせることができる環境が用意されてしかるべきだと思います。そしてそれは、弱き者への注意喚起ではなく、絶対に加害を許さないという、「善良な人たち」による確固たる意志によって成り立つものであると思います。
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