コラム
2024年12月16日
名前を失う私たち
寒波がやってきていますね。阪神間はそこまで雪が降ったりしないのですが、同じ兵庫県でも日本海側は雪も降るようで、知人に「冬は雪かきが日課」などと聞くと、私にはとてもじゃないけどできない・・・などと思ってしまいます。
今期のドラマでは「海に眠るダイヤモンド」を見ています。脚本野木亜紀子、監督塚原あゆ子、プロデュース新井順子なんて聞くと見ないわけがありません。「アンナチュラル」「MIU404」「ラストマイル」の名作を作りだし、三羽烏との異名を持つこの3人には信頼しかありません。軍艦島として有名になった長崎県の端島と現在の東京を舞台に、炭鉱、原爆、家族、ホストの売り掛け問題などを織り交ぜて、昭和と現在が交差し、過去を探ることで現在が変化していく。毎週テレビに貼りついてリアタイしています。
今回ここで取り上げたいのは、名前です。現在パートで宮本信子さんが演じる「いづみ」が過去パートのトリプルヒロインの中の誰なのか、ということが初期の謎でした。なぜ「名前が分からない」ということが起こるのか。「いづみさん」を「いづみさん」と呼んでいるのは神木君演じる怜央(これも源氏名)だけで、それ以外の人は「社長」「お母さん」「おばあちゃん」と呼ぶ。名前を呼んでくれる人は誰もいない。さらに「いづみ」は旧姓だったため、彼女が生まれ持った名前はもう誰も呼ばない。名字が変わり、役割で呼ばれるようになり、いつしかそれが当たり前になる。
選択的夫婦別姓が国会で議題に上がるようになって30年経ち、どの世代でもそれに賛成している人の方が多い現状になっても、「家族の絆が」とか何とか理由をつけられて未だ実現には至っていません。名字が違うと関係が途切れるというなら世の結婚した女性の95%は親とそうなるはずなのですが、良い意味でも悪い意味でも全然そんなことない。名字が変わることによる不都合を引き受けているのはほとんど女性なのに、それを引き受けない側の人たちが選択的であっても夫婦別姓に反対する。いつまでもそんな状況です。
「いづみさん」の正体が分からなくなるのは、そんな状況の反映でもあるように思います。過去では周囲のみんなが彼女を愛しそうにその名で呼ぶのに、現在その名を呼ぶ人は誰もいない。それが現在のいづみさんの持つさみしさのように感じるのです。自分のことを全く知らない怜央に自分を「コードネームいづみ」と名乗った彼女の本意はいったいどういうものだったのでしょうか。
ドラマもついに次回が最終回となり、まだ明かされていない過去と現在が一つの交点を結ぶようです。今年は「カラオケ行こ!」「ラストマイル」と本作で野木さんにはだいぶ楽しませてもらいました。様々な社会問題をエンターテイメントに落とし込むその技術にはいつも舌を巻き、かつ勇気をもらっています。来年も早々に野木さん脚本のドラマが見られるようなので、お正月から縁起がいいなとすら感じています。野木さんに終わり野木さんに始まるこの年末年始をとても楽しみにしています。
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