コラム
2024年11月25日
スマホ画面も一つの車窓かもしれない
だいぶ寒くなってきました。まだ日によって気温の乱高下は続いていますが、徐々に冬に近づいていることを感じます。晴れた日の朝の空気は冷たくキリッとしていて、なんだか背筋が伸びるような気がします。気が付けばもう今年もあと1か月と少しとなりました。今年は早々から大きな災害があり、政治的にも大きな変化がありました。自分の無力さを痛感しながらも、自分が今いる場所でできることは何だろうかと模索している日々です。
毎日通勤で電車に乗っていると、阪神間に住んでいる恩恵を受けているなと思うことがあります。車窓からは北を向けば山が、南を向けば海やそこに広がる空を眺めることができます。私個人が似たような場所に生まれ育ったからその景色に親和性を感じるのか、それともそもそも人はそう感じるものなのか、それは分かりませんが、山肌にかかる雲の影や少しずつ色づいていく紅葉、夜と昼との合間の空のグラデーション、海にかかる橋を進む車のライトなどを眺めていると、一時世相を忘れることができるような気がします。
もちろんご多分に漏れず、電車の中でスマホをずっと見ていることもあります。画面上で誰かと会話をしていることもあれば、どこかの誰かのつぶやきを読んだり、推しからの供給を得たりなど。本を読むこともあるし、車窓を眺める間もなく目的地に到着することもしょっちゅうです。
どっちだっていいではないか、と思います。スマホを見ようが外の景色を見ようが、公共の福祉に反しない限り、私たちは何を選んだっていい。車窓の景色に癒されることもあれば、スマホの中の見知らぬ誰かに勇気をもらうこともある。どちらが正しいとかではなくて、どっちもあっていい。知りたい/見たいものがあればスマホ見てもいいし、目が疲れたら外を見ればいい、それだけのことだと思います。
こうでなければいけないとか、こうあるべきだとか、外からの圧力は様々な形で私たちに降り注ぎます。そんな中でも、自らの行動は自分で選べる、選んでいい、その上で失敗したっていい、そう思っていたい。何度でも言いますが、他者の権利を侵害しなければ、です。
今日も明日も私は電車に乗りますが、その時間を自分なりに楽しもうと思います。どんな時間も、私の大切な人生の一部だから。
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