コラム
2024年9月9日
自分の人生の運転手は自分でありたい
まだ日中は暑い日が続いていますが、朝晩は少しずつ秋らしくなってきたこの頃です。私も暑い時期は避けていた自転車通勤を再開しました。日が落ちるのが早くなってきて、まだ明るいけれど光源がないマジックアワーと言われる時間帯に、グラデーションになっている空を見ながら自転車を走らせるのは、私にとってはわりと楽しいことです。
自転車通勤の良さはやはりその自由度でしょうか。バスや電車のように乗り物の時間に合わせて行動するのではなく、自分のペースで行動することができる。乗り物が動く時間を待たなくてもいい、自分が動かしてしまえばいい。行く道もその時の気分で変えることができる。
一度、乗ったバスがルートを間違えてしまうという稀有な出来事に遭遇したことがあります。乗客の指摘で運転手さんがそれに気づき、本来のルートに戻ろうと普段は走らない道を走ったのですが、その間、車内に立ちこめていたあのなんとも言えない不安感。乗客は皆大きく言葉には出しませんでしたが、「これどこに向かってるの・・・?」「どうやっていつもの道に戻るの・・・?」という、恐れや不安が熱気となって車内全体に伝わっていました。10分もかからない内にバスは本来のルートに戻りましたが、あの時の、間違っているのは分かっているが降りることもできずどうなるのか分からないという、奇妙な世界に迷い込んでしまったような気持ち悪さは忘れることができません。
自分の意志でどうにもできないことは人生においても往々にしてあるでしょう。個人的なことも、そうでないことも、濁流に呑み込まれて自分の思いとはうらはらな場所に流されて行くことは多かれ少なかれあるのではないでしょうか。そんな中では、抗わずその流れに身を任せる方が楽なこともあります。戦い続けることは辛いことだから、「戦え」とか「抗え」なんてとてもじゃないけど言えません。
それでもやはり、自分の人生は自分でドライブしたい。どこに流されるか分からない不安を感じながら流されるより、自分でハンドルを持ってその濁流を乗りこなしたい。自分が望む方へ、自分で道を決めて、自分の意志で向かいたい。もちろん人の手も借りながら、自分も時として人に手を貸しながら。それが生きるということではないでしょうか。
あなたが選んだ道を、あなたが選んだ方法で、あなたの力で走った時に、どんな空が見えているのか。私はそれをとても知りたいと思うのです。
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