コラム
2024年8月5日
夏が来れば思い出す
今年もこの季節が巡ってきました。8月と言えば広島と長崎の原爆の日、そして終戦の日です。何度でも伝えたいことですが、戦争は絶対に繰り返してはならない。今この瞬間にも戦争と言う名の虐殺が起こっていますが。
私は高校3年生の頃、社会の選択授業で世界史を取っていました。私はあまり何も考えず、楽しそうだからと選択したのですが、受験に使うには範囲が広くなるからという理由で避けている人が多く、世界史のクラスは6人ほど、小さな教室で授業を受けていました。その世界史の先生は説明も分かりやすくとてもいい先生で、出来事だけでなくなぜそれが起こるのか、物事が動く理由や流れも説明してくださったおかげで、私は世界史がとても好きになり、また、世界情勢への見方も教えてもらいました。
先生に教わったことでとてもよく覚えているのが、「国が戦争を起こす理由」です。なぜ国は戦争を起こすのか。それは、「内乱を防ぐため」でした。経済状況が悪いなどの理由で国民に政府への不満が渦巻き、内乱が起こりそうになる時、国は他国と戦争を起こす。外部に敵を作ることにより、国内を団結させ、政府への意識を逸らす。つまり、為政者は自分たちの政治責任への追求を避けるために、戦争を起こすというのです。
これは本当に教わっていて良かった。歴史を学ぶ意義というのはまさにこういうことでしょう。そう思えば、今やっているオリンピックだって一種の代理戦争ですし、その代理戦争に国民の目を向けさせることは、政治から目を逸らさせる一つの手段とも言えます。もちろんもっと直接的に、「敵からの攻撃」を危惧させて、「こちら側」と「あちら側」に分け、「こちら側を守るんだ!」との大義名分をつけ着々と戦争に近づくことも、今まさに私たちはよく目にしているはずです。
平和のために戦うだとか、大切な人を守るために戦うだとか、そんな詭弁はいらない。勝とうが負けようが戦争というものは絶対にあってはならない。戦争に勝つということはどこかの誰かを殺して、さらにそれを褒められるということです。私は自分の家族にも、そうでないどこかの誰かのただ一人にでも、そんなことはしてほしくない。
日本国憲法に示されている、国民が主権者であり、基本的人権を保障し、戦争を永久に放棄するということは、「国民の不断の努力によって保持されなければならない」とされています。果たして現状はそうであると言えるのか。それを無いことにしようとしている人たちがいるのではないか。それを是非あなたにも考えて欲しい。8月とはそういう季節です。
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