コラム
2024年6月24日
「止まない雨はない」より先にその傘をくれよ、と米津も言ってたし
こちら近畿地方も梅雨入りしました。一年で最も不快指数の高い時期の始まりです。空気がじっとりしているとなんだか体も重い気がするし、意外と脱水してたりもするし、エアコンの設定はどこがちょうどいいのか分からないしで、体をいつもの状態に保つだけでも苦労する、そんな時期です。かく言う私も低気圧による頭痛や肩こりがけっこう表れる体質なもので、雨の日はもう諦めて頭痛薬を飲んだりして過ごしています。
自分の体は、ちっとも自分の思い通りになりません。天気に左右されるだけでなく、加齢とともに機能が落ちるし、どんなに気をつけていたとしても病気になるし。女性は特にその身体性から来る不調、生理、ホルモンの変化などが、こちらの気持ちや都合なんてお構いなしにやってきます。それらは予防のしようがないことも多く、あったとしてもそこそこのお金がかかったり、痛みを伴ったり、副作用により別の身体的不調をもたらすこともあります。こういうことを考えると、「女に生まれたばっかりに・・・」という思いが頭をよぎるのです。
思春期以降、1ヶ月のうち4~5日は生理だし、生理中はお腹も腰も痛いし、生理の時以外もホルモンはずっと変化するからその影響も受けるし、妊娠出産すれば不可逆な変化が体に起こるし、更年期になれば発汗などの自律神経の変化も起こるし、閉経すれば骨が弱くなるし・・・?女性だからこその体調不良が多すぎる。
生理が始まってからこっち、私の体が私だけのものであったことなどあったのだろうか。「子どもを産む体」という文脈でのみ社会に必要とされて、「生理痛は出産の痛みに耐えるため」とか言われて痛みを放置され。たまに休んでいい理由は「お母さんが倒れたら家が回らないから」。
私は、私のためだけに、痛みを取り除き、健やかに過ごしてはならないのか?女性は、「産むために」「家族のために」健康であらねばならないのか?そんなアホな。産まなくたって、一人だって、健やかに楽しく生きて良いだろう。痛みがあればできるだけ取り除かれ、日常を何かに煩わされることなく過ごせる、そんな権利は当たり前にあるはずだろう。
私は決して「男になりたい」んじゃない。女である自分が、そのままでも、「人間として大切に扱って欲しい」のだ。「そういうものだから耐えてくださいね」などと言われたくないだけだ。いつか止む雨でもいつか明ける梅雨でもない、死ぬまで明けない「女性という性」を生きているのだから。
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