コラム
2024年6月3日
米津玄師の「クソボケナス!」に救われる
※注:今回は全体的に言葉が汚いです
米津玄師っていいですよね・・・て世界中が知っていることを今更なんですけども。好きなんです。「米津玄師は1000年生きてる霊獣説」を少し信じている程度には。
新曲「毎日」がリリースされてから、本当に毎日聞いています。毎日、毎日、がんばっているのに変わらない毎日。そんな日々への絶望と希望、そして愛し続けたい、という願望。幾重にも突き刺さる。
『ちっとばかしおかしいと笑うセラピスト 意味がない?くだらない?それはもうダサい?無駄でしかたない?グダグダグダグダグダ わかってんだクソボケナス!これが僕の毎日』
セラピストの端くれとしてこれは辛い。グダグダ話してるかもしれない。気をつけよう。
この「クソボケナス!」何度聞いても良い。声に出して言いたい日本語。こういう怒りは私の中にもあって、日々心の中で、時には友人との会話の中で共に、何度も叫んでいる。クソボケナス!クソボケナス!クソボケナス!
怒りは一つのエネルギーだ。心理にまつわる講座なんかをやっていると、「より良い伝え方」みたいなものをテーマにすることもある。それでも、そうすることで、個人の怒りを矮小化しているのではないか、「そんな言い方だと伝わらないよ」「感情的にならないで」みたいなクソな言説に加担しているのではないか。そんな葛藤をいつも持っていて、そこをどう伝えるか、いつも苦慮している。特に搾取される構造の中では、「うるせえ!その汚ねえ足をどけろ!」と叫ぶことが必要な時もある。そこで米津玄師の「クソボケナス!」である。
「クソボケナス!」という感情の発露に、涙が出る。これが言いたいのだと。クソみたいな世界に、現状に、毎日に。言って良いんだ。言って良いんだよ。ああ~~~~クソボケナス!!
『毎日毎日毎日毎日 僕は僕なりに頑張ってきたのに 毎日毎日毎日毎日 何一つも変わらないものを 頑張ったとしても変わらないものを この日々を まだ 愛せるだろうか』
クソボケナスな世界を愛したい。毎日頑張っても変わらなくても、せめて。
だからまたその毎日を生きる。今よりももっと、もっと遠くへ行くために。
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