コラム
2024年5月7日
母の日に思うこと
母の日が近いですね。朝テレビをつければ情報番組で「お母さんの料理で何が好き」「お母さんに感謝を伝えるプレゼント」などという言葉が踊ります。クリスマスやバレンタインと同じで、これも一つの商戦なのでしょう。そのため、ステレオタイプな「お母さん=料理」「お母さん=愛情深い」みたいなものが、普段より声高に無邪気にささやかれているように思います。
「母親はこういうものだ」という規範は、これまでもずっと母親を縛り付けてきました。母親は愛情深く、子どもを愛し、家族を愛し、自分より家族を優先し、いつもにこやかで、家庭の太陽である・・・。そこから少しでも外れると「母親なのに」と言われ、自分自身がそれになれていないと思うと「自分はいい母親ではないのでは」と悩む。悲しい話です。
女性は当たり前のように家事育児介護に相当のスキルを求められます。ですが家事や育児や介護は「女性がやるもの」ではもちろんないし、給料が低いもしくは給料をもらっていない側がやる罰ゲームでもありません。それらは生命や経済を維持していくために必要な労働であるにも関わらず、多くの人がそれに無償で従事し、かつ「愛情」の名の下に軽んじられていると感じます。「愛情があれば当然にできることだ」と。
ですので、テレビなどで「お母さんに感謝を伝えよう!」などと言われても白々しい気分になります。別に感謝とかいらんから普段から動け。自分のことは自分でしろ。母の日キャンペーンやっとる会社は男女の賃金格差を是正して取締役の女性を増やせ。話はそれからだ。
家庭内での無償労働は「愛情と言われる何か」と関連づけられ過ぎている、と思います。親がそれに縛られると、次にそれに縛られるのは子どもです。育てられたことに感謝しなければならない、そして、「愛情と感謝を持って」介護しなければならない。どんな関係であれ、こうでなければならない、というものが介在した関係はしんどいものでしょう。
とはいえ「こうあるべき」という規範から自由になることも、同時にしんどいことです。先に述べたような外圧の中では特に。規範に沿って生きる方が楽なときもあります。けれど多くの先人がそれに抗って道を拓いてきたように、誰にでも、自身を縛り付ける規範から自由になれる可能性と、その力はあると思っています。私にも、あなたにも。
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