コラム
2024年5月20日
NHKドラマ「燕は戻ってこない」考
NHKのドラマ「燕は戻ってこない」を見ています。代理出産をテーマにしたとてもスリリングな内容で、毎週楽しみにしています。今は3話まで進んでいますが、主人公のリキが代理母になることを決意するまでの経過や、リキに代理出産を頼む夫婦の過去が描かれていきました。稲垣吾郎さんと黒木瞳さんがバレエダンサー親子を演じ、無意識の選民思想や自分たち自身への高い誇り、そして同時に、現役を退き後進も育成できない自分たちには遺伝子しか残せるものがない、といったような焦燥感すら感じる、すばらしい演技をしています。
この中で注目したいのは、主人公が「代理母になることを本人が自分で選んだ」と言われることです。これは代理母だけではなく、色々な言葉に置き換えられて多くの女性に言われていることです。「母親になること」「その相手と結婚すること」「ひとりで生きること」「その仕事を選んだこと」・・・それらを自分で決断したのだから、望んでいたのだろう、自己責任だろう、という文脈です。
本当にそうでしょうか。この世界に生きていて、自らの選択が、本当に自分が心から納得して心から望んで選んだものであると、自信を持って言える人がどれだけいるのでしょう。ドラマでも、リキが貧困状態であること、非正規で安い賃金で働かされていること、安全と言えない住まいに住み、理不尽にストーキングされること、そしてそれらはリキが女性であるからこそ被っているのだということが、余すところなく描かれます。それは、「本人が自分で選んだ」という言葉がどれだけ暴力的で、その状況を考慮していない言葉か、ということを浮き上がらせています。
カウンセリングの場では、クライエントさん個人が持つ準拠枠(価値観)を言語化してもらうために、「あなた『が』そう思っているのですね」といったアプローチをすることがあります。そうすることで、その準拠枠が自分に対してどういう影響を及ぼすのかに気づくことができるからです。ですが、一方で、社会的抑圧や、小さな頃から「当たり前だ」と思わされる価値観が大いにあるということについては考慮が必要だと思います。社会学的な視点はカウンセリングにおいて重要であると考えています。社会構造とそれに基づく差別について理解することは、個人の問題に矮小化しない、「あなたが悪いのではない」と伝えることだと思うからです。
自己責任論がいかに危険であるか。今作ではそういったことも描かれて行くのではと思います。この先、代理出産というテーマを通して女性の置かれる立場をどのように描いていくのか、ハラハラしながら楽しみに見ていこうと思います。
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